人生はいろいろって、耳にたこができるほど聴かされたんですから、誰にでも聞くなり聞き流してしまい、心の中に波紋ひとつしなかったことは、ごく自然なことなんじゃないでしょうね。しかし、よく考えてみれば、この言葉に持つ意味はなんか虚しいものだと思わせられるんですよなぁ。人は、生きているうち、いろいろあって、死ぬほど辛い時もあれば、楽しくて宙にでも飛び上がりたい時もある、誰しも笑ったり泣いたりして、日々を送って行くんですよ。いや、人の前では泣いたりはしないけどさ、そんな常識はずれな行為は人に見せるもんじゃないからね、むしろ泣きたい時は、かえって笑顔を装い、空笑いでごまかすほうが妥当だと思う。この妥当って、本当にバカですよね、でも、それは社会に認めやすいルールのひとつで、素直に受け取るしかない---って、言いたいけど、素直になりきれないのがつらい。こういう時、人生はいろいろって言ってごまかすほうが妥当だと思う(自動的に繰り返し)。
だと言うと、人生は全て虚しいものだと考えってもいいでしょうか、勿論、そうではありません。少なくとも、雷さんの言ったように、夕焼けを見て心を感じて泣きそうになったその瞬間は、たとえ一秒にしても、すでに心の奥底に刻み込んでいて、決して忘れてはならない。こういう手には触れない、目には見えないカタチのない一時は、紛れもなく人生の宝物とは言えると思う。カタチがないのに、記憶の中に納めていて何回も蘇ることができる。このキラキラ輝いている思い出から綴られた人生こそ、羨ましがられる人生と、私はつくづく感じる。